『新しい分かり方』

佐藤雅彦『新しい分かり方』(中央公論新社)を入手し、家族で一緒に読んだ。

sense-makingするために私たちの使っているいろんな方法――本当に色々だ――を、ページを繰りながら実際に手に取るように確認することができる。

たとえばこんな感じ。

あるページには、土の上に置かれた右手の甲が大きく撮されている。そのページを繰ると、その裏ページには、同じサイズの右手の掌が土で汚れてそこにある。

このとき私たちはこう理解する。土の上に置かれた右手が<裏返されたから>掌が見えているのだ、と。もちろんそんな証拠はどこにもない。でもやはり私たちはそう理解するだろう。どうしてだろう。

手の甲と掌が同じサイズであることもあるだろう。また、土の上に置かれている手は汚れているはずだと理解することもあるだろう。でも、もうひとつ重要なのは、ページを繰るという動作だろう。ページを繰ることによって私たちは手の甲が撮されたページを裏返す。ちょうど手の甲を裏返すように。そして実際に裏側のページには、手の甲の裏となる掌が見えている。こうして、「土の上に置かれたまさにこの手が裏返されたのだ」と私たちは理解することになるのだろう。

すこし硬い言い方をすれば、ページに撮された事柄(掌が裏返されたこと)を理解するにあたり、私たちがメディアを用いる方法(ページを繰ること)が構成的に働いている、ということもできるかもしれない。けれどももちろんこの本は、こんな野暮な言葉を使わない。鮮やかにこうした方法を実際に使っているのだということを体感させてくれる。

錬金術」といったら言い過ぎかもしれないけど、けっこう不思議な様々な方法を使ってsense-makingしている私たちの不思議さを、この本を家族と読みながら味わった。


新しい分かり方

新しい分かり方