2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

language, not belief

I have wanted, in the foregoing discussion, to distinguish between the beliefs people hold and the language in which those beliefs are expressed and which makes them possible. And I have tried to undermine the seductive idea that the gramm…

概念についての問い(信念についての問いではなく)

もしわれわれが、アザンデ族が信じている事柄という観点で彼らの妖術制度について考えるとすれば、「では、彼らが信じていることは真なのか偽なのか」という問いを招いてしまうと思われる。私はここで、この問いを招くと思われると述べた。それは実際問題、…

Comment

ある人物が「妖術師などいない」と述べるのに対し、私が1964年の論文「未開社会の理解」においてこれに反対したとき、私はあのような主張を否定していたのではない。「いや、実際妖術師はいる」などと言っていたのではない。つまり、私がザンデの信念を「是…

道徳から見た行為者とその行為

この論点〔道徳が行為者の選択とその理由づけだけにではなく、それがなされる状況しかも行為者から見られた状況に関わっているという論点〕を表現するために、状況、状況が提起する問題、そしてその問題を論じるのに適しいタイプの理由、これらは或る何らか…

やろうと努めること

私の主要な論点を一般的にまとめて結論としよう。悪いことを行えば人は悪いものになる(キリストの言葉で言えば、人は「けがされる」)。このようにして人が何になるかは、人が入り込んでいる他人との複雑な関係の網の目と切り離すことができない。この網の…

「人間の本性」という問い

人間の本性という概念は、通常は何らかの形の「相対主義」に関連して、社会諸科学の本性や射程をめぐる議論のなかに登場する。時と場所が異なれば人間生活の諸現象には非常に多くの、しかも明らかに排他的な多様性がある、ということに直面すると、我々は、…