Ian Hacking 2002

"Historical Ontology," in Historical Ontology, Harvard U. P., pp. 2-16.

これによると、歴史的存在論とは、歴史的場における、人間科学の諸概念の分析であるんだという(歴史化されたオースティン、ウィトゲンシュタイン)。んでその課題としては、そうした概念が、どのような歴史的場においてどのような権限を持つ人物によって、誰に対するどのような力を行使する文として、出現したのか。そしてそれは(当の概念の変容を含め)具体的にどのような可能性をもたらし、帰結をおよぼしていくのか、が、分析の対象となる(ここに、前出のループ効果が入るのだろう)。
なおその際、概念は、行為や制度・実践・経験・物質の具体相の論理的可能性を与え、またそうした具体的的対象のなかに、存在していると見るべきだ、と。そしてこうした見方の導きの糸となるのは、フーコーの研究の三つの軸、知識・権力・倫理となっている(かなりこれに強いこだわりがある)。どう関わるかというと、ある一定の概念が、どのようにして知られるべき人間(人工種)を作り出し、また人間の他者へのどのような関わりのあり方(の可能性)をもたらし、また行為と人間についてのどのような道徳的判断のあり方をもたらすのか、という感じ。
最後にこのような概念分析は、現在を固定する歴史なのではなく、歴史的場における概念の分析で、その目的は前史を知ることでハエトリ壺の現在の輪郭を示すことへと向けられている。

読んでいて当然ながら、フーコーの「真理と裁判形態」における日常言語学派への不満とその拡張を彷彿とさせられた。概念分析がたんなる物象化批判の文脈に収まらないのは当然のはずだろう。