戦術としての歴史・記憶

翻訳が出たのでようやく読んでみた。『言葉と物』いらい、どうすべきか迷っていた部分に明快(すぎる?)見通しを与えてくれる印象深い一節をメモ。

フランス革命期に描かれる二つめのプロセス〔ひとつめとは、歴史言説による戦争の一般化〕とは、この戦術が、三つの異なる闘いに対応しながら、そしてまた相互に異なる三つの戦術を最終的には生みだしながら、三つの方向に転回されていく様態です。ひとつは、おもに民族性(ナショナリテ)へと向けられ、本質的には言語の諸現象と、その結果文献学と本質的なつながりを持つことになるでしょう。もうひとつは、もっぱら社会階級へと向けられ、その中心現象は経済的支配になります。……そして三番目の方向は、今度は、民族性でも階級でもなく、種として人種に向けられ、その中心現象は生物学的な種別化および選別となります。したがって歴史言説と生物学的問題系との連続性ということです。文献学、政治経済学、生物学。話すこと、労働すること、生きること(『社会は防衛しなければならない』p. 189f. , 原著p. 169)。

ちなみに、ずっと引っかかっていた『言葉と物』の部分とは、次。

言語の水平化に対する代償は、言語の研究に与えられた批評的価値である。厚みのあるしっかりした歴史的現実となった言語は、伝統と、思考の無言の慣習と、民衆〔peuples 民族〕の晦冥な精神との場を形成する。それは、記憶として認識されることさえない宿命的記憶を集積するのにほかならない(『言葉と物』p. 318, 原著p. 310)。


言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学