そのような社会学とは?

本来であればそんな時間はないのだが、ある行きがかり上、濱松加寸子『医療技術の進歩と「人間的」出産をめざす助産師の役割』(こうち書房, 2003年)を読む。著者は助産師として就職後に教職に就くが、それとともにある大学院にて看護社会学を学んだのち、現在は名古屋大学助教授を務めていらっしゃる方。
この本の目的はとても明確で、それにそって助産にかかわる資格の歴史や出産の動向、そして助産師や妊産褥婦についての調査がまとめられている。ちなみにその目的とは、つぎ。

「病院出産」において、出産のあり方を問うことは現代的な要請であり、「非人間的」出産といわれている「病院出産」において、「人間的」出産を可能にする、看護専門職としての助産師の役割を明らかにすることが本書のねらいである(15頁)。

そしてこうした目的のもと、具体的に採られるアプローチが、看護社会学であるが、取りわけ著者が重視しているのは「内から」看護活動を分析する方法である。そしてこの「内から」のアプローチには強い問題提起が込められている。

〔これまでの看護師(助産師)の役割についての研究は、〕看護師の役割や仕事の実態、さらに医師との関係についてのものは極めて少なく、とりわけ出産と関わらせての研究、自らが出産に立ち会い、助産をした経験に裏打ちされたものは皆無といってよい。また、いくつかの文献からは医師と看護師関係もみられているが、それのほとんどが医師と看護師の従属関係や専門職か半専門職かというものが主流である。その関係と言うよりも、その論点での議論である役割の関係を正面から捉えたものは見当たらない(47頁)。

このように、職業構造上の看護師・助産師の位置づけなどはしばしば取りあげられるものの、その業務じたいについて取りあげられ、分析されていないことが、明確に提起されている。
こうした目的と問題意識のもとに行われている調査分析のすべてに納得がいったというわけではないけれども(とりわけ内側から著者がやっている仕方は、別の意味で外側からの仕事になってしまっているように思うが)、良書だと思う。
けれども、この書のなかで一番印象に残ったのは後書きにおける次の部分だった(念のため、固有名は匿名にしておきます)。

しかし、ここに至るまでにはけっして順風満帆ではありませんでした。○○先生が定年退職された後、●●大学の社会学専攻の何人かの教授たちの指導に苦しめられたのも事実です。看護のなんたるかも知ろうとしないことはもちろん、看護職による社会学の学位記取得を頭から否定されるかのごとく、せせこましい社会学的解釈や修辞学的視点からの身だけの文章上の指導を行えば、それが学問的なことと考えておられるような、学問的にも人間的にもけっして尊敬に値するとはいえませんでした。その屈辱的思いは今でも消し去ることはできません。

もちろん人間的な側面についてはなんともいえないが、もしここで述べられているとおりのことだとしたら、そのお方は社会学学者なのでしょう(せっかく社会学について学ぶ願ってもないチャンスなのに、それをせずに社会学学的解釈を垂れ流すような人物は社会学者ではないはずだから)。そしてそのような社会学学にどれほどの意味があるのかと、この書は全体を通して訴えている。勇気づけられる。