国籍と....

すこし国籍について考えてみる(ただし、ぜんぜん練られていません)。
国民というのは、様々な国民カテゴリーからなる、成員カテゴリー集合だろう。そして個々のカテゴリーには、それぞれの国家の制度に応じた適用条件がある。日本の場合は、出生による国籍取得の場合、血統主義をとっている(以下、帰化による国籍取得については省く)。したがって日本人カテゴリーを用いた場合、こうした血統についての推測は一定程度、可能である(日本人は(多くの場合)日本人の子なのだ、と)。一般的に言えば、血統主義にもとづく国籍の場合、ある者の国籍がわかれば、それは同じ国籍をもつある特定の者と血縁関係があることが推測可能であるということになる。そしてこれが推測可能なのは、国籍の付与の条件が血統に言及しているからである。
上記を言いかえれば、血統主義においては、人間についての生物学的関係のごく一部を規準として、国籍を付与しているということになる。もちろんこの規準は、生物学的には何ら根拠があるわけではない。なぜその関係であって別の関係ではないのかは、説明されないのだから。このようなわけで、またこれに加えて帰化による国籍取得の方法もあるわけだから、国籍は必ずしも生物学的関係を反映しているわけではないと言える。ただし、国籍にもとづいて、高い確率で、<ある>生物学的関係を同定することはできるだろう。つまり、国籍の適用条件とそれゆえの関係性の推測可能性を「探索手続きsearching procedure」として用いるのである。とはいえ、生物学的には私たちは多様な仕方でまた連続的な仕方でたがいに関係しているはずで、こうした関係のすべてが捉えられるわけではない。
ともあれこのように、グループカテゴリーを用いることは、自然の連続的関係に非連続的な切れ目を入れることと言えるのだろう。

日常性の解剖学―知と会話

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