自然発生的社会学

  • Rose, E., 1960, "The English Record of a Natural Sociology," American Sociological Review, 25(2), 193-208.

著者については、初期エスノメソドロジーの歴史に一枚かんでいた人ということぐらいしか知らない*1。たとえばProceedings of the Purdue Symposium on Ethnomethodology*2にも登場しており、いくつか重要な指摘もおこなっている。ともあれ、こういった著者の主張について簡単にまとめてみると、こんな感じになる。


「人間の行為そのほかに関する日常語それじたいが社会学である」という本論の論点は興味深い。そしてこの論点の根拠は、これらの日常語及びこれらが一部となっている命題が、人物や行為について述べており、かつこうした語彙の意味が秩序だっているからというもの。
もちろんこうした日常語の使用じたいを科学とは言えない(自覚的な統制が欠如している)。とはいえ科学あるいは専門的社会学の用語は、これを由来としまたこれと結びついている。よってこれを自然発生的社会学と述べている*3
しかし、たとえ自然発生的であるとはいえ、このような日常語を社会学と見なすさいの根拠については、もう少し考察がほしい。日常語の意味が秩序だっているという主張は、実質的に通時的な安定性を意味するにとどまっている。言いかえると、このような安定性がどのような性質のものであるのか、あるいは何に由来するものなのかまでに分け入って論じられてはいないのである。
おそらくこの点に踏み込んでいくことによって、単なる語彙とその変化の一覧表作成を超えて、このような日常語を私たちがもっているということの意味——私たちの生活がそれについて述べる言葉とともに成立しているということは、どのようなことなのか——を判明にすることへと近づいていくことになるはずだろう。そしてこの時、日常語を分析していくことの意義も判明となるはずである。
もちろんこうした作業と考察は、様々な人びとによっておこなわれており、これらを参照すればよいだけのことである。たしかにそうではあるのだけれど、このような日常語を社会学として、言いかえればそれじたい注目に値する秩序をそなえた社会生活についての知識として捉えていくという立場を示唆しているという点については、この論文は重要な指摘をおこなっていると考えてよいだろう。

*1:どなたかにお教えいただければうれしいのですが...

*2:Hill, R. J. & Crittenden, K. S., eds., 1968, Proceedings of the Purdue Symposium on Ethnomethodology, Institute for the Study of Social Change.

*3:もちろん日常語の使用は<学>ではないという点で、この喩えにもそれなりの問題があるのだが。