フーコーとハッキング:実践の可能性条件としての概念空間の探究

これもまた、前エントリーの内容と同様、あるリーフレットの読書案内として書いたものです。フーコーについては何度読んでもわからないにもかかわらず紹介している点が情けないのですが、やはり記録としてそのまま掲示しておきます。


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私たちが何者としてどのような他者とどのような実践を行いうるのかという問いは、ともすると個々人の能力やその偶然的状況についての問いと考えられがちです。とはいえ、こうした「ある能力をもった」個人が、「何らかの人物」として、「特定の実践」を行いうるためには、こうした能力や人物、実践、さらにはそれを支える制度についての理解可能な概念が存在していなければなりません。概念空間というすこし奇妙な用語は、このような個々の実践をその前提として支えている一連の概念連関のことを指しています。そしてM. フーコーやI. ハッキングの行ってきた仕事は、歴史的でローカルな具体的実践に着目しながら、そのつどの概念空間を掘り起こしていく作業だったと言うことができると思います【文献1〜5】。ちなみに彼らがその作業を名指すのに用いた「歴史的存在論」という用語が、具体的実践のなかにあるものとしての概念連関がもつローカリティを強調したものであることを踏まえるならば、彼らの作業は、現在の実践をフィールドにして行われている実践学の作業と緊密な結びつきをもっていることに気づくことができるように思います【文献6〜8】。

  1. M. フーコー渡辺一民佐々木明)『言葉と物――人文科学の考古学』新潮社、1974年.
  2. M. フーコー(田村俶訳)『監獄の誕生――監視と処罰』新潮社、1977年.
  3. I. ハッキング(広田すみれ・森元良太訳)『確率の出現』慶應義塾出版会、2013年.
  4. I. ハッキング(石原英樹・重田園江訳)『偶然を飼い慣らす』木鐸社、1999
  5. I. Hacking, Rewriting the Soul: Multiple personality and the Science of Memory, Princeton U.P., 1995年.
  6. I. ハッキング(出口康夫・大西琢朗・渡辺一弘訳)『知の歴史学岩波書店、2012年.
  7. M. リンチ(水川喜文・中村和生訳)『エスノメソドロジーと科学実践の社会学勁草書房、2012年.
  8. M. Lynch, 2002, "The Contingencies of Social Construction," Economy and Society, 30(2), pp. 240-254.