Stocking, Jr. 1960

読み続けるも、ようやく半分。ストッキングさんは、目下のところ、ダーウィン以降の複数起源論的思考の残存形態を詳述。
現段階で気になった点はつぎ。W. Z. リプリーにおいて、type概念が、一身体部位(頭部)の変異性についての頻度分布で把握されつつも、それを隠蔽する形になっていた。よってtypeはほぼ理念型的人種概念と同義で、そこに複数起源論的思考の残存をストッキングさんは読み取っている。
他方、Boas [1899]1940"review of Willam Z. Ripley, The Races of Europe," in Race, Language, and Culture, University of Chicago Press., pp. 155-9では、その点が批判されている。「頻度分布アプローチ」が理念型的人種を個々人に帰属することを不可能にし、またそれを批判していく機能を持つということ。
以下は、たんなるぼやき。
こうした形の人種主義批判は、次元を遺伝子へと移し、またテクニックとしては多変量解析が用いられつつ、続いているのだと、曖昧ながら僕は理解している(ちなみに僕が読んだ限りで言えば、J. リュフィエ〜S. J. グールド)。が、基本形としてはボアズがおこなっていたものが踏襲されているのではないだろうか。んで仮にこの把握が正しいとすれば、なにゆえに100年以上も、こうした形の批判がおこなわれ続けなければならないのだろうか。たんに統計的理解が身に付いていない一般人(僕も)の蒙昧さゆえ、とは言い切れないのでは。んでこの点を理解するためにも、上記のリプリーの挙措は参考になるのでは。
Race Language and Culture (Midway Reprints)