Ian Hacking 2001

"Degeneracy, Criminal Behavior, and Looping," in Wasserman, D. and R. Wachbroit (eds.) Genetics and Criminal Behavior, Cambridge U. P., pp. 141-167.
まずこの論文では、「犯罪的行動」概念の対象と、その帰属(「所有権」)が整理される。犯罪行為そのものとはことなる犯罪的行動は、それゆえに犯罪者や被害者、警察、監獄官吏などにぞくす現象ではなく、犯罪学者や心理学者、社会学者、そして現在では生物学者にぞくしている現象であり、またそれらが中産階級の恐怖の対象であるという意味で階級の概念でもある、と。そのうえで、近年の生物学的な犯罪的行動についての調査研究を、歴史的継続性のなかに埋め込み、またそうした調査研究の社会的影響・含意・位置について述べていく。
まず前半。
最近では日本でもセロトニン欠乏と「キレる子ども」との関係についての一般書などを目にするが、著者は、こうした脳生理学的な犯罪学的調査研究を、シャルコーにはじまり、ロンブローゾ、ピアソンとゴーリングをへて現在にまで至る、「変質リサーチ・プログラムdegeneration research program」の流れのなかに位置づける。これらはみな、補助仮説こそことなれどもハード・コアを共有している、と。ちなみにそのハード・コアとは、社会的に危険な逸脱が存在し、それは生物学的状態(それは多くの場合遺伝性のものである)として特定可能である、というものだと著者はいう。
そのうえでの概念的・技術的転変として、このリサーチ・プログラムの経緯が一通り述べられていく。べつだん新しい事がいわれているわけではないが、こうした変質調査プログラムに対して対抗的・相補的なプログラムとして、ケトレ以来の社会的プログラムsocietal programと進化心理学が挙げられていた。
さて肝心の後半だが、なかなかわかりづらい。焦点は、人工種としての犯罪者を生物学化する調査研究の立脚点とその社会的位置づけにあって、たんなる批判ではないことはわかるのだが....。まあ、流れを追ってメモっておく。
まず人工種を生物学化することがどのようなことかが、競技選手の疲労と身体の「所有権」との関係になぞらえられる。つまりラクトースによって選手は身体状態についての判断の権利(「所有権」)をトレイナーに譲り渡したのと同様、「抑鬱」の規準は、患者の抑鬱経験から薬物への感応性へと移行しつつある。これが、人工種の生物学化のわかりやすい事例だという。
では、「犯罪者という人工種の生物学化はどのようになっているのか? まず著者は、たんに逸脱的行動にではなく、その暴力性にこそ犯罪学の焦点があったことを確認する。そのうえで衝動性の暴力行動をセロトニン欠乏によって定義づけていこうとするヴィルクンネンVirkunnen(どういう人なのかは不明)らの一連の研究について検討していく。
そこで注目されているのは、こうした仮説構成において、異なるレベルにある種が相互に関連しているという点である(←なんだか、曖昧なまとめ方だ)。まず犯罪学の基本目的は暴力そのものの抑止にある。よってそれは非専門的な分類つまり普通種common kindsに取り組むものである。他方、彼らの調査研究は、衝動的暴力性をセロトニン欠乏と結びつけようとするものだが、その際、両者は直接結びつけられるのではなく、人工種を媒介にしている。具体的には、DSM-III-Rにおけるintermittend explosive disorderに生物学的対応物をあたえる操作をしているということ。つまり人工種の生物学化である。
しかしこれはあくまでも形式的な参照である(といっているように思う)。何かが衝動的暴力であるか否かは、合理的理由の存否によって区別される。そしてこの区別は普通種のレベルにおける区別である。よって、実質的には普通種から生物学化へという流れがあるのだが、そこに形式的媒介として人工種がおかれているということだろう(「人工種の弁証法」)。
書いていてよくわからなくなってきたが、ともあれ、セロトニン欠乏による衝動的暴力性というかたちで人工種が生物学化される過程には、生物学的規準と普通の規準、臨床的規準とが複雑に入り組んでいるということが、著者のひとまずの判断である。そして最後に、こうした犯罪学の営為が犯罪率抑止に結びつくのかと著者は問い、ない、と結論する。このように生物学化された人工種は、文化によって阻まれており(←これもよくわからない言い方だ)、順接・逆接いずれのかたちであれ対象としての種には届くことのない不応性の種recalcitrant kindsだからというのがその理由である。

....と、一通りまとめてみたが、依然として不明な箇所が多い。とはいえ、生物学化した犯罪学が、使用領域が相異なるさまざまな分類システムを利用することで成立していること、またそのなかでも人工種という分類システムが蝶番として位置づいているとの視点は、おもしろい(のかなあ?)というおぼろげな印象が....。
今回はここで引き下がることにする。