残り物

これまでの原稿をまとめる仕事をしていたら、すでに刊行された論文の続きにあたるものが出てきた。ほんらいであれば、この続きを書き終えて刊行すべきだったのだろう。けれどもそれができず、「作業中」フォルダの中に入っていた。
これに気づいて、さてどうしようと思案した。けれども、モノにするには時間がかかりそうだし、このような内容の事柄はもう古くさいので、まとめのなかに組み入れることはあきらめた。ただ、捨てておくのもこころ残りなので、ここに引用しておく。お裾分けというにはあまりにもまずい代物だけれども。


ちなみに、これを書いた日付は2002年5月31日です。

個々の言語を「分析的」に研究すること、これが先にもふれたようにボアズの言語への見方を特徴づけていた。そしてこの見方は、言語がそれぞれ自律的な文法体系としてあることの帰結だった。けれども一見自明なこうした言語観は、比較言語学(philology)の成立を契機とする知識と言語との関係の変容と対応して、成立したものである。この変容についてかつてM.フーコーはつぎのように記述していた。


かつて言語とは、それじたい表象である思考の表象──「言説」──だった。言語は表象の場のうちにありながら、なおかつ表象を秩序化する働きをあたえられていたのだ。よって言語の理論は、一般文法──同時的にあたえられる思考という表象を、言語がどう順序づけ表象するかを対象とする──のかたちをとり、なおかつそれは同時に表象についての理論、すなわち認識の理論の役割をはたすことになる。言語は、知識がそこへとしるれるいわば透明な媒体だったのだ。


ところがこうした言語の透明性は、比較言語学の成立という事態とともにうしなわれてゆく。そこでは言語はもはや知識の透明な媒体ではない。言語は、それぞれのうちに歴史的厚みをそなえた自律的な体系となり、よって経験的に調査されるべき不透明な客体となるからである。


フーコーによると、言語へのこのあらたなまなざしが、言語を民族(peuple, people)の精神のあらわれとみなす態度と結びついてゆく。たとえばこのまなざしにおいて、言語とは、表象作用を結果として二次的にもたらせるような、内的な組織をそなえた文法的体系となっていた。よって、それぞれの言語が表象の分析の優劣という観点で序列化されることは(理念としては)ない。このことが「文明化されざる」言語への関心の余地を導きいれ、結果として言語とは「文字から開放された音韻の総体」となる。そこからこうした言語のにない手として、「学者」や「貴族階級」といった一部エリートではなく、「民衆」すなわち「民族peuple, people」があらたにあらわれでてくることになる(Foucault 1966: 310=1974:318)。


さらに、言語の基本的構成要素をなす語根(racine)についての見方の変容が、これに対応してゆく。語根はもはや名すなわち表象ではなく、動詞的意味をもつ。そこから、主体の活動や欲望、意志を指示する動詞こそが「言語の本源的要素」となる(Foucault 1966:303=1974:310)。結果、言語は活動する主体──すなわち「民族」──の側に根をもち、その意思をあらわすものとなる。言語をあらたに客体としてゆくまなざしが言語のうちに「民族」の精神のあらわれをみいだしてゆくのは、このようにしてなのである*1


ところが、言語のこうした客体化の一方で、言語はいぜんとして知識の媒体でもありつづけざるをえない。その結果、言語は、客体としての言語および知識の媒体としての言語という、ふたつに分裂したかたちであらたに姿をあらわすことになる。


歴史的実在となった前者は、それゆえ民族の伝統や思考の慣習を集積している。とはいえ、それゆえかえって語る主体の意識の外でその語る内容を支配する。言語は「記憶として認識されることさえない宿命的記憶を集積」していると考えられているからだ(同, 310=318)。したがって語る主体の意識を越えでて、その無意識の次元における言語の支配をあきらかにしてゆく「解釈」という方法が、ここに必要とされることになるのである。


Les Mots Et Les Choses

Les Mots Et Les Choses

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学

*1:peuple”ないしは“ people”という語は、日本語の文脈でいうと「民衆」および「民族」という意味上の両義性をおびている。そしてそれは、”nation”すなわち「国民」とはことなりつつもそれへとつながってゆくことになる。