ドブジャンスキーの人種概念について

拙稿(「類型から集団へ――人種をめぐる社会と科学」酒井・浦野・前田・中村(編)『概念分析の社会学』ナカニシヤ出版, 10-40)において、Th. ドブジャンスキーをとりあげ、彼の生物学的(遺伝学的)人種概念について分析したことについて、「科学史」的に妥当かどうかとのご指摘をかつてある方よりいただきました.これについて、自分の考えを以下に記します。


まず具体的な話に入る前に、上記のような指摘について気になる点についてまず触れておきたいと思います。それは、「科学史的に」という表現です。別にディシプリンとしての科学史についてなにか引っかかっているわけではありません。むしろ、ある個別・具体的研究成果に対してこの言葉に依拠してコメントすることによって何か有意味な事柄が言われているとは思えないのです。「何についての」科学史なのかが明確でないかぎり、任意の対象選択について妥当か否かなどと言うことは、私にはできないように思われます――その一端は、科学史について疎いからだと思いますが、それだけではないと思っています――。


他方、拙稿においてドブジャンスキーを取りあげたのは、けっしてそのような「科学史的」観点からではなく、彼の生物学的人種概念の意義ゆえにです。なぜそうなのかについて述べるには、まず生物学的な人種概念について押さえておく必要があるかと思います。


そこで確認しておきたいのは、拙稿の冒頭で具体的事例をもって示したように、生物学的な人種概念は存在しないと断言できる状況にはいぜんとしてないということです。無論、社会科学の定説としてしばしば生物学的人種概念の無効性が引き合いに出されます(そして返す刀で、人種概念と人種集団とは社会的構築物であるとしばしば主張されますが)。そしてその際に引き合いに出されるのが、ルウォンティン(1972)やリヴィングストーン(1962; 1964)の議論です。


しかし、やはり拙稿で触れたように、まずそのような結論を導き出したルウォンティンの分析法については以前より批判はありましたし、近年でも高名な集団遺伝学者が批判をおこなっております。おそらく依然として、生物学的人種概念についてはその妥当性が争われている状況にあるかといってよいかと思われます。もちろんこの概念の有効性を主張したいわけではありません。私が注目したいのは、そのような有効性・無効性が争われている生物学的な人種概念とはそもそもどのような概念であるのか、です。そしてルロワの巻き起こした論議は、まさにこれを明確にする必要のあることを教えてくれたように思います。そして私がドブジャンスキーの遺伝学的人種概念にたどり着いたのは、この論議を通じてでした。これは、以下のような理由からです。


たとえばルロワに対する批判として、拙稿ではグッドマンのものを取りあげています。彼の批判は、人種概念への定型的な批判ともいって良いもので、本人もしばしば言及するように、その由来をリヴィングストーンとルウォンティンに求めることができます。そしてリヴィングストーンは、拙稿でも述べたようにクラインによる記述をもってして人種概念を批判した有名な論者です。「人種は存在しない。存在するのはクラインのみである」との主張は、人種概念批判において引証される常套句です。しかし、ともすると私たちはこの主張がどのような文脈に置いてなされていたのか、見落としがちです。実際にはこの主張は、ドブジャンスキーとの間で行われた人種概念をめぐる誌上討論において行われています。この点に、ルロワの巻き起こした論議、とりわけルロワとグッドマンとの対立が、ドブジャンスキーとリヴィングストーンとの討論に由来していることがわかります。生物学的人種概念を検討するにあたって、ドブジャンスキーが浮上してくることの理由のひとつはここにあります。


つぎに、ルウォンティンによるルロワの批判を見てみましょう。彼の批判は様々な論点におよんでいますが、その中のひとつとして、ルロワの人種概念が適用の明確な基準を欠いている、というものがあります。そしてそのような人種概念の先例として、やはりドブジャンスキーの人種概念に言及しています。この点については、拙稿ではそれとして明示していなかったのでご理解いただけなかったのかもしれませんが、やはりここでもドブジャンスキーに立ち返る必要が示唆されているように思われます。


もちろんその他にも、たとえば実際には遺伝学的人種概念に依拠してなされた、類型としての人種概念への批判であった、ユネスコの人種に関する声明に、ドブジャンスキーが積極的に関与していたという外在的な理由もあります。が、この辺は、起草の作業の内実まで追うことができないでいますので、あくまでも付随的な理由となります。この最後の点はともかくとして、ドブジャンスキーを取りあげてその人種概念を検討した理由は、極めて大雑把ではありますが、以上のようになります。(2012年9月25日 浦野 茂)


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